昔の事です、が
朝廷が政治を納めていた頃のお話になります。
この当時は、言葉の連絡手段としては今でいうところの漢字が主流でした。
日本国は、農耕民族ですから、米を作って、年貢としてお上に納めなくてはいけないのですが
このころには、農民など一般市民と言われる、俗に言う市民ですが、
読む事、書くことが出来ない、それが、朝廷の悩みどころであった、
耕している農地からできる米、作物などに年貢として納めるようにと、
耕作地に、今でいう立札を立てて年貢の数などを書いていたが、これが農民には伝わらない
又、いつまでに納めるようにと書いているようですが伝わらない、
朝廷の政治納めている面々は学問的にも優れている方々ばかりではあるのですが、
この問題だけは、解決できない、いくら学問的に優れていても解決できづにいたわけです。
誰か、この問題を解決できる人物がいないのか?
この当時政治を納めていたのは、(菅原家)、藤原家であった、
この当時は、菅原家が納めていました。
皆さんご存じの
学問の神様でご存じの菅原道真公が関わっていたからです。
この方は、学問の神様と言われるぐらいですから相当に優秀であったのでしょうが、
この問題だけは解決できずにいたわけです。
ここでも、皆さんご存じの有名な句が有ります。
『こち吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな』
こちとは、古語で東から吹く風(東風)のことです。
この句は菅原道真が島流しにされた所で、読んだ句とされています。
以前いたところに植えていた梅の花を読んだそうです。
ここからは藤原家が登場します。
藤原業平、今でいうところのカッコイイ人にあたります。
この大変な問題を任された、
藤原業平ですが、今でいうところの大変な遊び人でした。
女遊びの達人と言ったところでした。この時の遊びで使っていたのが、
ひらがなでした、この当時は女言葉と言って男社会では使われることが有りませんでした。
藤原業平が改革した業績は日本社会におおきく役に立っています。
この女言葉、皆が使えるようにしたわけですから
今でいうところの、ひらがな文字です、
漢字は中国から伝わってきたと言われています、
その漢字をひらがなが使えるように、作り変えた功績は素晴らしいことだと思います。
文献を作り変える作業が続けられます、
漢語が主体でしたので大変だったでしょう。
庶民にもひらがなを使えるように広くわたらせました、
当然ながら結果はお判りでしょう。
庶民もひらがなが使える事で今でいうところの観光にも幅広く影響を与える事になったことは
言うまでも有りませんでした。
学問の神様と言われた菅原道真?
改革の藤原業平といったところですか?
藤原業平と言う方はポチの頭にインプットされています。
勉強は努力すれば出来ますが、
改革は至難です。

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